ところでなんやけど生きとるメンバーがおったら俺に死というその意味について教えてくれへん?(d!メンバー限定雑談募集.)
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ところでなんやけど生きとるメンバーがおったら俺に死というその意味について教えてくれへん?(d!メンバー限定雑談募集.)
生きるというその意味???難しくない?????
そんな難しいこと考えてないで気楽に煙草吸って女連れて楽しいことだけしてりゃええねん。
「楽し」くないから聞いてんねん。ちゃうな、「死」の定義の方が気になるわ。どう思う?
死の定義?やりたいことが無くなったら、とかやろか。やりたいこと無くなったらもう生きててもしょうがない、生きるの飽きたってなると思うし。どんなに小さいことでも「明日は牛丼食べたい」とかやりたいことやからそういうのが無くなったらな。肉体的に死んでなくてもそう思っちゃったら精神的な死やと思うで。
楽しくないんなら無理矢理でも楽しくすりゃあええねん、仕事辛いなら一日サボって好きなことしたり。人間関係なら1回繋がり全部切っちゃうとか、思いきってやってみるとええと思うけどな。息抜きしてこーぜ。
あくまでも全部社会不適合者代表みたいな僕の考えやからあんまあてにしない方がええと思うで。長文ごめんなぁ
どうも。「死への過程」としての意見か、確かにな。楽しいか楽しくないかはこと精神の点においては生命維持にいっちゃん大事なことやとは俺も思うわ。
純粋にお前らの意見が聞きたいねん。別に死にたいとか、病んどるとかやない。死について考えるのは最高の暇つぶしで俺の趣味やからなあ。俺は俺の価値観しかないやろ?一人で結論出してもつまらんなって。そんだけやで?ほんでもなんかありがとうな。
あと痛覚なくなったらもう死じゃね?とは思うで(うぃんく)
哲学的ゾンビについて論議してたとこやし、肉体の死と精神の死はやっぱり「同一」やないのかなとか無駄なこと考えよったわ。俺たちは言葉を放つ時矛盾を考慮しなさすぎるからなあ
死 は救いなんやけど やったらなんでキリストさんは死の姿をしとらんかって 俺たちが生まれ落ちた瞬間から何の疑問もなく先入観で持つ最大の恐怖が死やからなんよなあ
神様が死そのものでない事が甚だ疑問やねん。俺たちは死を目指して歩いていることは決して否定出来んのに、なんで逃げようとすんねやろ?本質を見ないで生きる時、そこに生まれるものは全て虚像やんか そう思わん?
痛覚無くなったらっちゅうのはある意味「哲学的ゾンビ」に繋がるな 俺はどうも物理的に全てを測ろうとする癖があるらしいわ
ほーーーん難しいけどシッマの言うこと何となくわかるで、哲学っぽいの好きやからもっと話して。聞きたい
哲学ちゃうで。俺の主観から見た社会の本質や、聞きたい言われると話したなるけど眠たいから今日は寝るわ また明日な
因みにロル回すのが呼吸の次に好きやから相手してくれてもええんやで、皆さんへ(皆さん言えるほど見とるやつがおるかは考慮せん)
哲学的ゾンビと聞いて。
【死の定義】について簡単な答えを教えてくれるのはやはりONE/PIECEの有名な『人に忘れられた時』では無いだろうか。勿論記録として残っているのならば〝忘却〟という点で矛盾が生じるし、忘れられるの定義付けに一夜か二夜程費やしたい所存だが此処は仮定として【人間の記憶媒体からの消失】と定義付けして適当に話していこう。
例えば、存在しているのに誰にも認識されない状況。
これは自分が生きていると自信を持って言えるだろうか。自己発信もくそもない状態で正常な精神を保てるだろうか。と、考えた時。概念的な〝死亡〟ではなくとも〝存在の肯定〟が無い時点で空気と何ら変わらないので【存在していない】に分類されるのでは。確かに空気とか酸素とか二酸化炭素とか窒素とか存在しているが「空気あるね!」なんて言わんだろうし。否、言うのか?登山とかしてたら言うかもしれん。くうきおいしいとか言うしな、まあ、そこは別としよう。してくれ。化学者も少しお口を閉ざしてくれると助かる。
さて、なんやかんや語ると長くなりそうだからおっさんはそろそろ退散しよう。参考になれば幸い。
まあ、なんだ。語らいたくなったら呼べよ、幾らでも語る。哲学者ではないが討論及び議論は他人の思想が知れて楽しい。そう言うチワワの【死の定義】も知りたいから書いといてくれると個人的に愉悦部。
我らが偉大なる総統閣下様やんけ。さっき違う場所で顔馴染みの大天使(笑)と話してたんやけど、殆ど同じこと言っててテンション無駄にあがってもうたわ。眠いけど。
自己認識をされない云々の話を聞くと、マニアックやけど「永遠の森」を思い出すわ。ドラゴンラージャの。知らんと思うけど、その森はドラゴンがいると言われとって、木々も深く殆ど人が寄り付かん。そんで、そこでは人間が文字通り分裂してくねん。そして分裂を繰り返す毎に、「自分以外の人々の中の」自分に関するの記憶が少しずつ無くなっていく。つまり存在を忘れられていくっちゅうことやな。分裂は本人が自分自身について疑いつづける限り止まらない。そうしていつしか自分の分身に対して本能的に殺意が沸いた「自分たち」が殺しあってしまう。社会から離れた場所で自分をひとたび疑えば、奥深い森で肉体を失い、人々の記憶からも消え去ってしまうっちゅう逸話なんやけど。
総統閣下の空気の例と併せて、俺たちは俺たちを他人をもってして存在定義しとるっちゅうことが分かりやすい例やな。深い森の中に入る人間は極僅かで、その人数の「客観」でもって自分を定義するのは難しいやろ。
やからその点(他人による定義付け)を念頭に置いて死を語らうなら、他者(の意識)が完全になくなった時になるんやろうな(主観)。つまり、自分以外の事象に自分の存在を忘却されたと自分が心底で認知した時、俺たちは死ぬんやろうなあ。割と唯我論者の俺には「弱い」理由やけど、もし俺がそうなったらやっぱり、生きた心地はせんやろうし。
死んでみんと分からんな!これやから毎日毎日いっぺん死んでみたいなぁ〜と思うねん。死が分からんから知りたいんやけど……どうやったら臨死体験出来んねやろ。や、臨死体験は意識が生きとるからあかん。肉体と精神両方併せて死んでみな、一般普遍的に話される「死」にはならんよなあ。あ〜〜……医療進歩せんかな。蘇りたいわ
生きる意味について教えてくれてもええんやけど、「性欲」(種の繁栄)以上に強い意見で頼むわ、まさか俺たちが生物であることを忘れとる人間は俺の友人にはおらんやろ。
そういう意味ではうつ先生の意見は生きる意味の体現やったなあ……すやぁ。
やっぱりそうなるよな、在り来りな意見を持ってきたと思うがそれはそれだ。返答有難う、その豚とは話が合いそうで軽率に惚れた。伝えておいてくれ、戦争しようと。
そもそも他人に認識されて、認知されて、レッテルを貼られ人格が形成されていくと仮定すると【存在】という物自体が【他者への依存】であるのなら納得が出来る。
ああ、然し前提として【死亡】=【他者の記憶からの忘却】であればの話になるのでその前提をひっくり返して考えるならまた別になるんじゃないか?わかりやすく、伝わりやすい簡潔な死はあれが有名だろうしな。
超絶主観的話は愈々止まらないので落ち着いて寝ましょう。今度時間があれば語らおうか、良い夢を。
いたいのうみそ
起きたついでに上げとこ
何や先輩がおもろい話してますね。
俺は頭良くないんで何となくで話させてもらいますね、暇つぶし程度にでも見てもらえれば。
死の定義って言うのが抑範囲が広過ぎて抽象的なんでそれこそ色んな行けんが出ますよね。例えば今まで皆が話してた様に「感覚」としての死とか。宗教的な死とか。
コネシマさんはどうやら有神論物(この場合宗教的な物事を少なくとも信じていることを指させて貰ってます)みたいなんで、そこも含めて質問させてもらいたいんですけど、なんで「神」と形容されるものが「死」のイメージでないといけないんでしょうか?
あと補足的なんですけどキリストは「真の人間」と謳われてますけど元は預言者とかそう言う立ち位置の人で唯一神でも何でもないので、神に死の形を連想させたいならヤハウェの方が適任だし、死の関連で言えばサンタムエルテやらタナトスやらがおすすめっす。
補足のが長くなったんで軌道修正しますが、死ぬ事を動物的観点から見れば心臓が動きを止めること、なんですよね。信仰の対象で言えば、グルッペンさんやコネシマさんが話してたみたいに「忘却」が相応しいとは思います。ただ此処も意見が別れると思っていて、前提として崇拝対象とされているものは現代において全てが過去の産物に過ぎず、我々が生きるに至るまでの人間が創作又は発掘した過去の事象の塊に過ぎません。(俺が神が存在したとしてそれは我々人間が自分を持つ為の一つのツールだと思っているので)
それらは歴史として残っているだけで、その対象物はそもそもこの世から無くなっている訳で。記録があったものが忘れ去られた事=死、というのは果たしてそうなんでしょうか?とも思ったりしてます。それってただの消滅では?と。
遺物があって存在証明と言えるならそれもう蘇生の域ですからね。
…と長々喋りましたが中身なくて笑えますわぁ。まあ、要は外見が中身かで死の定義は変わってくるって事で。
宗教だってひとつに纏まってないのに、これがまとまる訳もないから面白いんすよね、こう言うの。
あー、そんで纏めると四足歩行の動物よりも感受性が豊かな俺達がこうして感情なんてものを理解出来て吐露し、共感を得て言葉を交わす事が出来る。この一連のプロセスに魂と名付けていいのであれば、俺の死の定義は心臓が止まってそれを封じている体が使えなくなれば、もし意識が肉体より長生きしていたとしてもそこで終わりだと思ってますよ俺は。
後ゾンビの話、余り目を通してないのであれですが、人間の生死の判断は外見情報から処理する事が多いと思っているので死んだ筈なのに体が動いていればそれは生きてる事と同じだと思ってます。だって意識だけ存在してたってそれを伝えるツールがないんじゃ無意味ですし。そのゾンビに意識があっても記憶があるかどうかでは大違いでもあります、俺的にはそこん所とか宗教的な話をしながらもっと話せればと思ってますよ。まあ歓迎されてればなんですけどね。それじゃあ一旦はこの辺で。
お〜めっちゃおもろい後輩が来とったけど今ヌいたばっかの俺の脳みそアホになってしまったみたいで言葉がひとつも入ってこおへんの笑うわ。待ってな、もう一発ヌいてからくるわ……昨日めっちゃ可愛ええド好みAV女優見つけてん。あかん、延々とダイジェストループしては課金するので忙しいねん 俺は生きている
ン〜……神がいなければ人は生きていけないっちゅう思考がこびりついてるからやな。神という言葉が俺の発言の中やともう漠然としすぎてるんやけど、つまりは帰る場所の事やな。キリストを出したのはいっちゃん広く信仰されとるからで、神が死の形をしていなければならないのは 俺の中で人類みんな等しく最後に帰る場所となるのは死やからやなあ、あ〜、質問されんと考えもせんかったけど、そういうことなんやなあ。俺も俺の思考を初めて明瞭に知ったわ。ほお……あと俺はサンタムエルテの大ファン(?)や。こう、なんや?死神っちゅうのが気に入らんけど
肉体的死は社会でも大々的に論議されてきたことであらかた答えも出とるしええとして、ほう……そうやな。実在するものだけを考えた時(めちゃくちゃ曖昧ですまんな、あんまり賢くないからこれ以上の適切な表現を知らん、本質と実在が一致するもの、とでも言えばええんやろうか でも違う気がするわ、いやこれ違うな…ンン、コホン。)、忘却は1つ………ん?待ってな、ン〜……
忘却やろ?本質 実在 ンン〜?
意識ってなんや………………?(宇宙猫)
生や死について考えられるうちは
少なくてもいきとるやろな。
俺は「考える力」が無くなったときが死やと思うよ。
洗脳、刷り込み、自身の意見が言えない状況
それに感情が伴わない状況。
これらは例え他者がソイツを認知してようが
本人の「感情」「行動力」がないのなら
何も自分の意思でできないなら。
肉体が死んどるのとかわらんやろ。
概念的な「死」も含めて。
俺はこれがそうやないかなと思う。
「考える」事が出来ねえのはよっぽどの事やろうけどな
せやから、
何か理由を探したり、疑問を持ったり。
そういう事やってんのは
「生きてる」ってことになんじゃねぇの?
知らんけど。
面白いと褒めて頂けて僥倖と言いたい所ですがAVの話されるとは思っても見ませんでしたわ、いやぁ尖ってますねぇ( けらけら、
一先ず、質問に答えて下さり有難うございます。その答えを得て俺と先輩とでは議論してる前提の土台が違う事が明白になりましたね。俺は有神論者では無いので果たして同じ舞台に立てるかどうか不安です、見当違いな事言っても見逃してくださいね。
魂の帰る所、という所は違う意見を持っているので同意は中々出来ませんが「神は人々が生きる上で必要な存在」という所には概ね同意です。
何故なら宗派毎のマナーが俺たちの生活の中に刷り込まれているから。
先述させて頂いたのでお察しかと思いますが俺は神の存在は認めど信じている訳では無い…んですが、どうしたって先祖から引き継いだ生活習慣の中に…って話してたら話題が逸れました、やめます。
ええっと、なんでしたっけ。コネシマさん的に神は帰る場所と同義なので神々は死を司るものだから、でしたっけ。神々は神々で各々司るものが違いますがコネシマはそこは省いて大きく「神」という偶像を通しての意見として左記を上げましたか?それならそれで興味深いので是非もっと詳しくコネシマさんの思う神を教えて頂きたいです。
俺的には産み落として戻ってくるのを待つなら、死の形より母の形の方が似合いそうだと思いましたけど、とも付け加えておきますね。
(そんな深く考えてなかったって顔)
俺が1か100かしか考えられないのでこの意見になるんすかね…( 遠い目、 )
この場合意識というよりは知識に当たると思ってますよ。ああ、でもこれは人間の場合と歴史的背景のあるものでは捉え方が異なるので一概に全部がそうと纏めて話せないのが面倒臭い所ですね…ちょっと俺の頭の中覗いてくれません?(…)
まあなんだろ、俺は死は肉体>精神の考えなんで言えるんですが、人は一度肉体が完全に働かなくなれば「死を迎え」てその肉体で生きた人間としての役目を終える。その後は残された我々の考え方により「前提としてこの世になかった者」になるかどうかっていう、そんな事を考えたりしてるわけで…ああ、死の話をするのであれば不謹慎なのは承知ですが蔓延性意識障害とか安楽死とか、そこら辺も混ぜれますね。ナイーブなので堂々と話題にはできませんが。
後毎度誤字ひどいんですけどニュアンスで見てください。
兄さんや!ありがとうな、非常に明快で分かりやすい書き口にめっちゃ好感あるわ。肉体と精神とを無意識に分けて考えとったけど、2つは実際分かたれんわけやもんなあ。
考えとるうちは確かに生きとる。やけど、俺たちは死を知らんうちはそれを客観的に理解するには至らんのやろうな。俺のような阿呆がいる限りは、少なくとも
途中で返信放棄してもうたわ、眠たてな(言い訳)
お前は面倒臭がりやもんなあ、らしくてええわ。なるほどな、死は肉体の生命維持にのみ基づくもので、あとは考え方の問題やと。確かにその通りやわ。生活習慣も先入観も違うし、そらここでちょろっと訊いただけでも違いが出てくるわけやし、まあ、答えがある疑問とちゃうからな。それが一番目に見えてわかりやすく、社会一般的な死や。
その通りや、その通りなんやけども それでは納得出来ん俺もおんねんな、なんで納得できんかって言われるとまたこれは話が変わってくるからミッフィーちゃんしとくわ。あかん、お前ほんま面白いなあ。
神については目からウロコや、司るっちゅう考え方の真逆しとったから。そうよな、普通は司るもんよな。俺はもう、そこにあって然るべきものとしてしか捉えられんねん。ニュアンスとしては、神を通した偶像としての意見で間違いないはずや。
必然やから、信仰できる。必ずあるから、安心して帰依できるわけや。それを前提に突き詰めると、最終最後絶対的な必然性を持つのが死やねんな。やからそれが神になる。神と呼ぶことが出来ると言った方がええんかな。神に役割をつけるのではなく、必然を神と呼び変えただけやなあ。これは多分宗教とは違うんやろうけど。
このスレ消そかと思ったけど(死について考えるのなんぞ馬鹿らしいことくらい俺も百年前から知ってんねん)暇やし哲学は暇人の最高の友達やしおもろいしお前らも暇やったら付きおうてや。
面白いですか?要領なくて長ったらしく話すことしか出来ない奴ですけど、アンタも随分物好きっすね。
色々端折りますけど、俺は神みたいなそういうのは「話」なり「フィクション」なりで考えているのでそういう考えになるんですよね。コネシマさんの話面白いですね、俺ら真反対っぽいんで、自分の主観広げるんに相手して欲しいっすわ。まだおってくださいよ。
取り敢えず俺の一日が今始まったから上げとくわ
こんばんは、先輩。
今日も神々はお仕事に忙しい様で。
俺らの中に植え付けられた存在は果たして正規の役目を果たしているのか怪しい所ですが、そんな雑談で口実なんて作っています。
またお話しましょう、俺もアンタは面白い思ってるんです。
寝て起きて気づいたら土曜日やってん。ちょおホーキング博士!なんかこの時空おかしない?!
「生を耐へるのに別の方法があると思はないか」「ないね。あとは狂気か死だよ」
これが全てよなあ。そんでな、気づいたら休み終わっててん。びっくりやわ
誰かおれへん?めっちゃ久しぶりに来てんけど。また死についてようわからんようになってきたからフラフラァ〜と。誰かおったら適当に相手してや