今晩は。
幾らか体が休まりましたので、予定通り一つお話をさせてください。青髭と呼ばれた、醜く残忍で、そしてとても寂しい男のお話です。
森深くに建てられた小屋に、一人の美しい娘が兄弟達と仲良く暮らしていました。
とても裕福とは言えない家庭。暮らし向きは良くありませんでしたが、家族助け合って居たそうです。
ある日、娘達の暮らす森の中に馬に乗った男が従者を引き連れてやって来ました。
彼こそが青髭です。この辺りでは知らない人は居ないくらいに名の知れた貴族で、とても大きなお屋敷に従者を除いては一人きりで住んでいます。
その面立ちは険しく、しかも顔中にもじゃもじゃと青い髭が沢山生えている恐ろしい見た目のせいで、誰も彼に近寄りたがらないからです。
更に、彼には奇妙な噂もありました。今までに青髭は6人の奥さんを貰ったのですが、その誰もが嫁いで間もなく何処かへ消えてしまったというのです。
そんな青髭が娘の元へやってきた理由、それは彼女を7人目の奥さんにしたいという申し出をする為でした。
娘はその申し出に少し躊躇いを見せましたが、彼女が受け入れるならば他の家族に苦労はさせないという約束を取り付け、青髭の元に嫁ぐことになりました。
青髭の屋敷に連れて来られた娘は、すぐに仕立ての良いドレスや上等な部屋を与えられ、それから食事も何不自由ない生活を送りはじめました。
娘が青髭の元に嫁いで暫く経ったある日のこと、青髭は娘に言いました。
「明日から大切な用があって、暫く屋敷を空けることになる。だから、お前に屋敷の鍵を預けて行こう。」
そうして彼は沢山の鍵のついた鍵束を娘に渡しました。更に彼は続けます。
「留守の間、退屈なら屋敷の部屋は好きに使って見て回っても構わない。ただし…」
途端にじろりと鋭い目。少し声を低くして青髭は念押しするように言います。
「この金の鍵で開く扉の部屋には、決して入らないように。廊下の突き当たりにある小部屋の鍵だ。絶対に使ってはならないよ。」
娘が「わかりました」と頷くと、青髭は次の日の朝には急いで出かけて行きました。
初めのうちこそ、娘は金の鍵以外で開く扉を開けては色々な部屋を見て周っていましたが、そのうち大体の部屋を見終わってしまってはとても退屈になりました。
そうすると気になってしまうのは、決して入ってはいけないと言われているあの小部屋。幾ら駄目だと自分に言い聞かせても、駄目だ駄目だと思えば思うほどあの小部屋に入ってみたくて堪らなくなるのです。
「駄目よ、いけない。いけないわ…だって、約束ですもの。でも、ああ…少し、ほんの少しだけなら…」
遂に堪えきれなくなった娘は、絶対に使ってはいけないと言われていた金の鍵を使ってしまいました。
廊下の奥の小部屋の扉。小さな鍵を差し込んでゆっくりと回します。かちり、と音を立てて鍵が開きました。
娘が恐る恐るドアノブを回し、引くと…途端に漂う血なまぐさい臭い。驚いた娘はそのまま中を覗いてしまったのです。
部屋の中は、一面に広がる赤、赤、赤。
壁にも床にも、そして恐らく天井にまで、べったりとこびり付いたどす黒い血液の赤色に染め上げられていました。
部屋の壁には吊るされた何人もの女の死体。青髭の、前の奥さん達です。
恐怖のあまりすっかり腰を抜かした娘は、思わず鍵を部屋の床に落としてしまいその場で声も無くガタガタと震えるばかりでした。
どれほどの間そうしていたでしょう。やっと震えが治まってきた娘はハッとしました。
「この部屋を見てしまったことにあの人が気付いたら、きっと大変なことになるわ。」
慌てて娘は立ち上がり、落とした鍵を拾い上げ小部屋に再び鍵を掛けました。
その後、落とした時に鍵についてしまったらしい血液を拭き取ろうとしたのですが、どういうわけか幾ら拭っても全く汚れが落ちる様子がないのです。
途方に暮れた娘は、中庭の干し草の中へそっと金の鍵を隠しました。青髭が帰ってくるまでに、干し草が染み付いた血を吸い取ってくれることを願って…。
それから少しして、青髭が屋敷へと帰ってきました。出来るだけ平静を装って、何食わぬ顔で娘は彼を出迎えます。けれど現実は残酷でした。青髭はこう言います。
「ただいま。さぁ、渡していた鍵を返してもらおうか。」
娘は、震える手で鍵束を差し出しました。青髭は鍵束に付けられた鍵の本数を数え終えると、恐ろしい表情で娘を睨み付けて続けます。
「金の鍵はどうした?まさか、あれほど入るなと言ったのに中を見たのか。」
娘は必死に首を横に振ります。
「いいえ!いいえ!まさかそんな筈はありません。きっと何処かで落としてしまったんだわ、私、探してきます。」
急いで、鍵を隠した中庭の干し草へと駆けていきました。そして中から鍵を取り出し、娘は絶望しました。
金の鍵には、隠した時と何ら変わらぬ様子で確りと血がこびりついていたのです。
気付けば娘の背後には、青髭が立っていました。
「あれほど見てはいけないと言ったのに、やっぱり見たのだな…。今度こそ、お前こそは信じていたのに…悪い女め、殺してやる!」
娘は青髭の前に跪き、泣いて謝りました。
然し彼はもうそれを聞き入れてはくれません。
「ああどうか、せめて最後にお祈りをさせてください…」
娘がそう言うと、青髭はすぐに済ませてくるようにと念押ししてから娘を彼女自身の部屋へ放り込みました。
娘の部屋は屋敷の最上階。窓から逃げることも叶いません。娘は渾身の力を振り絞り、窓から見える家族が住む森に向かって助けを求めました。届かないと分かっていながら、何度も何度も叫び続けました。
扉の外では痺れを切らした青髭が何やら怒鳴り声を上げています。
やがて大きな音を立てて、扉が開け放たれました。娘の目の前までずんずんと近付いてきた青髭は、持っていた剣を鞘から抜き取り振り上げます。もう駄目だ、と死を覚悟したその時でした、それぞれ小刀を携えた三人の男が部屋へと飛び込んできては、青髭に一斉に掴みかかりました。
それからあっという間に青髭を押さえ付けて殺してしまうと、娘に「大丈夫か」と声を掛けてきました。
それは娘の兄弟達でした。
「ああ、兄さん達…一体どうして?」
娘が聞けば、兄の一人が答えます。
「どうしてか、お前が助けを求める声が聞こえた気がしたんだ。嫌な予感がしたので、他の兄弟も連れて急いでお前に会いに来たんだよ。」
娘と兄弟達は抱き合って、互いの無事を喜び合いました。
それから後、他に親戚や家族の居なかった青髭の財産や屋敷は全て娘の物になることとなり、沢山の富を手に入れた娘は、また仲良く家族と幸せに暮らし続けたそうです。
と、いうお話です。このお話に素直にめでたしめでたしと言えないのには幾つか理由がありますが、俺の中での一番の理由は青髭への哀れみに有ります。
この話は似た話や派生等が多く語られており、細かい点が違ったりすることがよくあるんですがその中でも一つ俺が印象に残っているものがあります。
それは青髭の奥さんが不貞を働くパターンのお話です。彼女は青髭という夫を持ちながら、別の男性とも関係を持っていたのです。
ある日それを知ってしまった青髭は激情し彼女を殺してしまいます。
この話以外でも、青髭は約束を破るという形で何度も女性に裏切られているのです。彼も彼で自身の奥さん達を試していたんでしょうが、結局自分との約束を守ってくれる女性とは巡り会えないままに死んでいきます。
その醜い容姿だけで酷く恐れられ、自身の財を持ってしてでしか妻を娶ることも出来ず、幾ら愛しても必ず最後には裏切られてしまう彼のなんと哀れなこと。
それでも俺がこの話を愛してやまないのはきっと、そんな寂しい男の姿に自分を投影してしまっているからなのでしょう。