天の声によると明日は晴れのようです。お布団を干すもよし、お腹の毛を虫干しするもよし…熱中症にだけは気をつけないといけませんが。健康は何よりの宝ですからね。
ところであなたは「宝物」を持っていますか。ああ、この場合の宝は絵本に登場するような金銀財宝のみを指す訳ではありません。物でも人でも構いません、それが他者にとって価値がなくとも構いません。きっと何かひとつは、あると思います。
では、あなたはそれを人に見せていますか、それとも隠していますか。時に自らの心を支え、癒すたった一つの宝物を、誰もが触れることが出来る…言い換えれば汚し、傷つけることが出来る場所に置いておく人は少ないのではないでしょうか。
とはいえ完全に隠してしまうのもまたもったいない。せっかくのきらきらとした自らにとって特上の価値あるものですから、少しくらい自慢したい気持ちだってあるでしょう。
こんなに回りくどく何を話しているかと言うと、僕は思うのです。
宝物を持つ人の最大の不幸は、宝物を失った夜に、喪失の悲しみを分かち合う人が居ないことなのではなかろうか、と。
持っていることを隠していれば、失ったことも隠し通さねばなりません。もちろん、実は……とその場になって開示するというのも一つの手ではあると思うのですが。
例えば。お互いに好きあっているけれど、交際を公表するどころか嗅ぎつけられてもならない人との関係があったとして。もしその人が突然事故で死んでしまったとしたら。
その人は表向きなんの関わりもないわけですから、ただ一方的に知っている人の死を悼む、というポーズしか取れないわけです。
または、既にこの世に居ない人がくれた贈り物が十数年の時を経て壊れてしまったとして。しかしそれをくれたその人はもう居ないのですから、それをくれた時のことや、共に過ごした時間を振り返り共に悲しむ人もいないのです。
何かを得るということは、同時にそれをいつか失うことが約束されていることでもある。得たかけがえのない宝物をどうするべきか、僕は未だに悩んでおります。